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 市民運動と共に (みさ子の原稿集)

被ばく労働者を踏み台にした、命の規制緩和は許せない!

鹿児島市議会議員 小川みさ子

被ばく労働者を搾取し、犠牲にし、それでも原発からの電気を使いたいですか!?

3・11前も訴え続けてきたことです。労働安全衛生法に基づく電離放射線障害防止規則は、通常時の原発作業員の被ばく線量の限度を1年間で50ミリシーベルト、累積被ばく線量限度は5年間で100ミリシーベルト以下と定めている。このままの限度でも一般市民の年間1ミリシーベルトに比べると、その50年分が一年間で浴びていい線量ということになる。

3・11直後の3月15日、厚労省は省令で、全国約7万人いるといわれる、原発作業従事者の被ばく線量の上限を、福島第一原発事故に関わる作業員の緊急時の場合の累積被ばく線量限度を、年間100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに引き上げた。通常時は変えていなかったが、4月27日、通常時の原発作業員の被ばく線量の上限を撤廃した。十分な放射線に関する教育もなく、線量計も渡さず、放射線管理者を置かないで作業をさせたなど、ロボット投入も失敗が続き手の施しようのない中、作業員の健康問題が十分検討されているはずもないだろう。

ささて、私が被ばく労働について初めて知ったのは約30年前のこと。放射能の恐ろしさを知ったら誰しも放射能汚染から身を守りたいと思う。でもそれを知らされずに、命の危険にさらされながら働く人たちがいることを知った時のショックが、私の反原発、脱原発のエネルギーとなり今に続いているのです。私の手元に1983年の育児日記がある。その日記をここに丸写ししてみます。(以下、日記の部分はゴシック体)

 1983年2月24日(木)夜10:00〜10:30 NHKの番組 ルポルタージュにっぽん「原発定期検査」をみた。各地から労働者が集まり、寮や民宿を利用し、日当7,000〜10,000円で放射能にまみれて働くのだ。ショックを受けた。前に鹿大の橋爪先生がみせてくれたデンマーク映画「知られざる原発」を思いながら、この映画もそしてこの番組ももう一度みたいと思った。また先月の正月映画「チェーン・リアクション」にも放射能の恐ろしさがよく描かれていた。つくづく核の恐ろしさを再認識させられた。

※この番組は、大飯原発が舞台で、埼玉の川口市にあるNHKアーカイブスという施設で見ることができるということを、28年を経た昨年、NHKのディレクターが調べて教えてくれた。

※映画「チェーン・リアクション」は、1980年のオーストラリア映画。オーストラリアの中西部を地震が襲い、それがもとで放射能が漏れるが、その事実を抹殺しようとする公団側に、自らの肉体を犠牲にして挑む科学者と若い一組の夫婦の活躍を描いた作品。

1983年2月26日(土)昨日の配達(有機無農薬野菜の宅配)で事務局長から1979年に発行された「原発ジプシー」という本を借りた。原発のことをもっと知りたい。とりあえず、メモしておくことにする〜 「原発=科学」の虚妄を剥ぐ体験ドキュメント!堀江邦夫著「原発ジプシー」現代書館。私がそこで体験したものは、放射能に蝕まれ、「被ばく者」となって、吐き出される棄民労働のすべてだったと、表紙にある。胸がドキドキする凄いドキュメントだ。

敦賀原発、美浜原発、福島第一原発について(※当時は、まだ川内原発は稼働していなかった!)

○ホールボディカウンター(ゲート・モニター)→ 美浜原発

○ハンド・フット・モニター & サーベイ・メイター(端末を片手に持ち身体を測定) → 福島第一原発

(正確には手首から先と足の裏側を計測)⇔ いい加減!ゲートモニターは社員のみ使用。露骨な差別

放管教育(放射能管理教育)で、なぜ、マスクの正しい着用方法を教えないのだろうか?危険で恐ろしい「内部被ばく」から肉体を防護してくれるマスクだ。それなのに・・・。原発と原爆の相違点とかより、労働者にとって、現場で常に放射線にさらされているのであるから、放射能(線)の危険性と、そのための徹底した防護方法こそを教えるべきだ。

 原爆闘争情報36号より・・・1977年4月22日、福島3号炉にて発生した下請労働者の転落死亡事故。東電当局は、管理区域外への搬出を押さえ、出血もひどいため、除染もうまく出来ないまま、全身放射能まみれのまま放置したという(一説では、1〜2時間も)

原発から原発へと渡り歩く底辺労働者=原発ジプシーの一人として、美浜、福島第一、敦賀の各原発において、放射能下の被ばく下請労働を体験した堀江邦夫さんのあとがきより一部抜粋する。

『 近代科学・技術の最先端をいくといわれている原発だが、中央操作室で計器類を監視し、スイッチを押す電力会社社員は、そのほんの一部で、人数面からも仕事量からも下請労働者〜日雇い労働者(あんこ)の方が圧倒的に多い。つまり、原発は下請労働者の存在があって初めて、原発とし稼働が可能なのである。言いかえれば、現場の最前線に送り込まれ、放射能にまみれて働くことを強いられている労働者たちの姿を無視して、原発を語ることはできないということなのだ。

似たような例を私たちはいわゆる「戦記」に見ることができる。将校クラスの人たちが書いた戦記からは、当時の戦局やら作戦の全貌といった広い視野に立っての「戦争」を知ることはできる。だが、戦争を俯瞰することで、森を見ることができる半面、木、つまり最前線で命を賭けて戦う兵士たちの恐怖におののいた顔や、断末魔の声、血の色、硝煙の臭いなど、そこに見ることは難しい。やはりなんといっても、戦争の本性は、一兵卒の体験の中にこそ、存在しているのではないだろうか。

原発で働く労働者たちには、自分が生命体であることの証である「生理」すらも、捨て去ることが強制されている。「生理」を疎外された人間が、コンクリート壁やパイプだけの無機物だけで構築されている、原発内に入った時に生じる肉体の無機質との激しいせめぎあい、この軋轢こそが肉体の叫び声であり、私のいう〈痛み〉なのだ 』

※この本が発行されて実に32年が経過しようとしている。堀江邦夫さんの7ヶ月に渡る体験、文章に目を通してくれたという大阪大講師だった久米三四郎さんもお亡くなりになった。「原発ジプシー」の2年後に発刊の「闇に消される原発被曝者」の著者である樋口健二さんが写真を提供している。あれから、30有余年、原発での被ばく労働者を踏み台にする社会構造は、何ら変わっていない。(※次回は、NHK「原発定期検査」の舞台、大飯原発で下請労働の経験のある方のお話をお伝えします。)

 











 


 

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